幼いころから人のふるまいを見ては「私もマネしよう」「私はマネしないようにしよう」と思うことが多くありました。
家庭の中で、学校の中で、そう教わったからです。
その教えは、自分のなかに刷り込まれて、自然な思考となっていました。
けれど、その思考がたくさんの制限を自分にかけているんじゃないかと、最近思うようになりました。
人に迷惑をかけないように、と気にしすぎていた
幼いころから教わってきたように、人のふるまいから学ぶことは、メリットしかないと思っていました。
一番のメリットは「人に迷惑をかけないこと」です。
なので、人のふるまいを見たら
・あの人のように〇〇に注意すると間違わないから、マネしよう
・あの人のような言い方をしたら、人にお願しやすいから、マネしよう
・あの人のような列に割り込むようなことはマナー違反だから、マネしないようにしよう
・あの人のような横柄な態度でいると、困ったときに助けてもらえないから、マネしないようにしよう
というようなことを無意識で考えるようになっていました。
その証拠に、自分が「人に迷惑をかけないように」と思っていたこと、例えば列への割り込みや店員さんへの横柄な態度をとる人を見ると、不快な気持ちになることが多かったです。
そういう場面に遭遇すると疲れてしまっていました。
他人を優先しすぎて、自分の気持ちがわからなくなった
他人を優先するあまり、いつの間にか自分の気持ちがわからなくなっていきました。
自分の気持ちがわからないので、何が好きで何が嫌いで、何をしたいのか、何をしたくないのかが、わかりません。
なので、ますます自分の気持ちよりも他人を優先することが自然になっていました。
そのまま社会人になり、仕事では自分の限界以上に働いていました。
ピークの時期は、毎日残業して帰りは深夜、土日も出勤するか死んだように眠る。
通常時でも、成果のない努力は無駄と、成果を過剰に求めて奔走。
体力的にも精神的にもボロボロでした。
それもそのはずです。
「みんな」が納得する仕事なんて、私の努力で達成できるわけがないのです。
それなのに「みんな」を優先して、
・私は何を得たいの?得るものはあるの?
・誰の人生を生きているの?
と思うようになりました。
「人に迷惑をかけたら」の妄想に、人生を乗っ取られていた
「私の人生って、他人のもの?」
そう考えた時に、このままでいいわけがないと思いました。
このまま他人を優先させていて、私にとっていいことがあるとは思えませんでした。
自分の気持ちが感じられないと思っていたけど、「他人のご機嫌のための人生なんて、いや」とはっきりと感じることができました。
しかも、よく考えてみると他人から毎回「あなたに迷惑をかけられた」と怒られていたわけではないのです。
なのに、他人に「迷惑をかけるかも」と妄想におびえていました。
つまり、他人に「実際に迷惑をかけたのか」と「可能性として、迷惑をかけるかも」を混同して妄想し、あれもこれもダメだと自分で自分を制限していました。
そして、自分の気持ちを蔑ろにしていました。
人に迷惑をかけないことよりも、自分の人生の方が大事
今でもなるべく他人には迷惑をかけたくはないと思っています。
その気持ちを持ち続けることは、家庭や学校で習ったとおり、大切なものだと思います。
ただ、ものには限度があって、良い教えが不要な制限になることもあると学びました。
自分の人生と、他人に迷惑をかける可能性、重要なのはどちらでしょうか。
もちろん、自分の人生ですよね。
私の人生は私のもの、そんな当たり前のことが、長い間見えなくなっていました。
この他にもたくさんの制限、マインドブロックが、まだまだ私を苦しめているのではと感じています。
そのマインドブロックを少しずつ外して、人生を楽しめるようになりたいと思います。
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