【感情ログ:1か月目】感情がないのではなく、感じる許可を自分に出していなかっただけ

こころ

ことです。
長年、他人軸でばかり考えていたので「私は今、何がしたいのか」という自分の気持ちがわからずにいました。
なので「あなたはどうしたいのか」と聞かれても、すぐに答えることができません。
そんな時に「感情ログ」という自分の感情を記録する手法に出会い、1か月記録することで自分の中で大きな変化が起きました。
私の中で起きた変化は、
・私には感情がないのではなく、「感情を感じること」を自分に許可できていなかった
・他人軸だからこそ「自分を他人のように観察すること」で感情が見えてきた
というものでした。

他人軸が強すぎて、いつの間にか感情のないロボットを目指していた

自分の気持ちが、いつの間にかわからなくなっていました。(過去記事
特に仕事をしていた時は「成果を出さなければ、どんなに努力して行動しても、何もしていないことと同じ」と言われ、成果を出すためには迷ったり苦しんだりする感情に振り回されたくないと考えていました。
そして「成果を出すため」には他人との調整が必要なので、他人の気持ちを察することは得意になりましたが、いつからか自分の気持ちには鈍感になっていきました

・「他人がどうしたいのか」はわかるのに、「自分がどうしたいのか」はわからない
・「あなたはどうしたいの?」の問いに「私ができるのは〇〇」と、自分の感情ではなく、提供できるものを答えていた
・自分の感情がわからないから、イヤなこと・苦手なことを続けて、身体が拒否反応を出しても「体調管理ができていない」と自分を責めていた

こと
こと

体が震える、息がうまく吸えない、めまい・吐き気・動悸がする、休日ずっと寝ていても怠い、といった症状が出ても「体調管理ができていない」「自分に甘い」と自分を責めていました。

まるで感情なく働き続けるロボットを目指して、そうなれない自分を責めているような毎日でした。

そういう働き方をしていたので、職場の人から「働きすぎ」と心配されることもありましたが、その時の私は「実力がない私は、成果を出すためには頑張るしかない」と思っていました。
結婚したことで、そんな私を間近で見た夫から「そういう働き方は、おかしい」と指摘され、やっと自分が他人のために働くロボットになろうとしていたことに気が付きました。
そう気付けたことで、今後はもっと自分のペースで働きたいと思い、自分のための時間を確保すために退職しました。

ただ、退職して自分の時間を確保しても、自分の気持ちがわからない日々を過ごしていました。
「朝の散歩が気持ちいい、カフェでくつろげることが嬉しい」と、些細なことに幸せを感じることはわかりましたが、それ以外の日常では相変わらず「私は今、何がしたいのか」と自分に問いかけても、答えが返ってこない日々が何か月も続いていました。

感情ログを通して、自分に「感情を感じること」を許可できた

そんな時に「感情ログ」というものに出会いました。
時間を有効に使おうと時間割による「行動」記録はつけていましたが、その時に「感情」も加えて記録するようにしました。
最初は自分の感情がよくわからなかったので、まずは3段階で簡単に「気分」を記録してみることにしました。

 〇:なんとなくいい感じ
 -:ふつう(特に感情なし)
 △:イヤな感じ

記録できない時もありましたが、まずは「データ化」と思い、自分が無理なく続けられる程度を意識して、1週間記録してみました。

すると、「今どんな気分?」と自分に問いかける回数が増えて、「感情がない」と思っていた日常でも、気分は小さな浮き沈みがあることを発見しました。
そして1週間振り返ってみると、意外にも「〇(なんとなくいい感じ)」の割合が多かったのです。
「あれ、結構いい気分で時間を過ごせているかも」と認識したら、「〇(なんとなくいい感じ)じゃなくて、◎(すごくいい感じ)かも」と気分に対する感度が上がっていきました。

感情ログを付けるために自分の気分を「なんとなく」でもこまめに確認するように習慣づけたことで、これまで無意識に「邪魔なもの」と感情に蓋をしていたものが、「感情を感じてもいい」と自分に許可を出せるようになっていたのです。

自分を「もう一人の私」と他人のように捉えてみたら、ネガティブ感情も尊重できた

自分の感情を以前よりも感じられるようになって、戸惑ったこともあります。
ポジティブな時は素直に「いい感じ」と喜べばいいとわかるのですが、ネガティブな感情の時は、これまでどおり「感じない」ようにすべきか悩みました。
ネガティブな気持ちを感じてしまうと、その気持ちに捉われてしまうのでは、と怖かったのです。
でも、ポジティブでもネガティブでも正直に記録を続けていると、ふと前より「落ちる度合いが減った」と気付きました。

以前は、例えば「身体が震えて辛い」と感じたら「体調管理できていない」と、さらに自分を責めて追い打ちをかけるようなことをしていました。
でも、感情ログを一定記録してからは「あ、またこのパターンだ」と客観視できるようになり、そのタイミングで「震えるほど辛いなら、続けるより、休めまないといつまでも辛いまま」と思えるように。
なので、ネガティブな感情をあえて感じるようにしても、以前よりも自分と距離を取って捉えられるようになり、結果としてさらに落ちるのではなく、自分に改善策を提示できるようになりました。
まるで、自分を「もう一人の私」と、他人のように客観的に見ているようです。
これまでの経験から他人の気持ちはわかるようになっていたので、自分を他人とみなして観察していると、距離を保ったうえで改善策も見えてくるようになりました。

こと
こと

「自分の一番の味方は自分」とはよく言われますが、それが理解できていませんでした。
自分が自分に思う批判やネガティブ感情を、そのままストレートに、むしろ増長させてダイレクトに受け取っていました。
でも、自分を「もう一人の私」と、まるで他人のように観察することで「いやいや、ちょっと変だよ」と自分に言ってあげられるようになりました。

まとめ:自分を「他人のように距離を置いて観察」すると、感情がわかりやすくなった

私は、これまで自分よりも他人を優先しすぎていたので、過労死ラインをとうに超える働き方を当然のように続けていました。
そんな状況で身体が当然の拒否反応を出しても、「成果も出さずに、体調管理すらできない自分はダメだ」と自分責めを加速させていました。
そうまでして、あきれるくらい他人を優先していました。

その状況から「私は今、何がしたいのか」を言語化して感じ取ることは難しかったですが、「なんとなく」でも自分の気分をこまめに確認したことで、気分の浮き沈みを感じられるようになりました。
また、私がこれまでとことん他人軸だったからこそ、自分を「他人のように距離を置いて観察」してみたら感情が見えてくるとの気付きもありました。

私は人間で、ロボットにはなれないし、なりたくありません。
そうならないために、「もう一人の私」の感情ログを取って、「もう一人の私」はどうすれば喜ぶのか、苦手なものはどう避けていけばいいのか、他人を観察するように自分を観察していきたいと思いました。

まだ感情ログを取り始めて1か月での自分の変化に、正直驚いています。
一見、これまで通りの行動記録では同じ内容(例 読書)でも、その時の感情は充実しているのを感じていので、続けて感情ログを取ることで自分とよりよく付き合っていきたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました