ことです。
時間についての本『限りある時間の使い方』オリバー・バークマン著の紹介の続きをさせてください。
(過去記事①)
前回、時間は有限であり、その中ですべてのタスクをこなすことはできないし、一定限度を超えると生産性を上げるはずの行動がタスクを増やしてしまう、と紹介しました。
幸せになりたいのなら「無数の選択肢を捨てて、思い切って一つを選ぶ」ことが必要だと。
でも、その一つを選ぶことが実際は難しい。
また、なんとか選んだ「やりたいこと」を実行しようとしても、その時になるとなぜか「やりたくない」という気持ちになり、ついSNSを見てしまう、ということを繰り返していました。
なぜそのような行動を取ってしまうのか不思議でしたが、それは「ものごとがコントロールできない」という不快な真実に直面した時に起こる反応だったようです。
選択肢は少ない方がいい
無数の選択肢を捨てることは、魅力的な選択肢を捨てることでもあります。
私たちには、優先度「大」のタスクでさえ、実行する時間もエネルギーも足りないのです。
でも、選択肢を少なくすることには勇気がいりますよね?
私は自分が選ばなかった方の選択肢の可能性を考えて、一つを選ぶことに怯えてしまっていました。
でも、それだと何も選ぶことが出来ず、何も実行することができません。
ではどうするか。
「妥協」するのです。
妥協、というとあまりよくない言葉のように感じますが、最大限に努力するためには、どこかで妥協しなければいけません。
例えば、一流の芸術家になるためには、他の可能性を捨てて芸術を学ぶことに打ち込まなければなりません。やりたいことを全部追い求めていたら、どれも中途半端になるからです。
だから、他にもっといい選択があるかもしれないという誘惑を振り切って、芸術で「妥協」するしかないのです。
このように、最大限努力するためには、どこかで妥協する必要があります。
結婚についても同じことが言えます。
どんな時でも一緒にいることを誓うのは、簡単には逃げ出さないと約束することで、より満足度の高い関係性を手に入れるためです。
「どこかにいるかもしれない理想の人」という選択肢を捨てた方が、目の前の相手に集中できて、結果的に幸せな生活を送れる可能性があります。
実際に、人は後戻りできない状況に置かれた方が、選択肢がある時よりも幸せになれるというデータもあるようです。
幸せになりたいのなら、思い切って一つを選び、無限に広がっていた可能性を封印する。
そして、自分が選び取った未来に向かって前進するしかありません。
確かに、これまで進学、就職、結婚とその時々で妥協しながらも選択してきました。
他の進学先、他の就職先、他の結婚相手。
もっといい選択肢があったのかもしれませんが、だからと言って「理想を追い求める」ことをしていたら、ずっと進学すらできずにいたかもしれません。
そう考えると、あの時妥協して選択したからこそ、その後頑張ることができたと納得です。
注意力は人生そのもの
あなたの人生とはすなわち、あなたが注意を向けたあらゆる物事の総体である。人生の終わりに振り返ったとき、そこにあるのは注意を向けたことたちであって、それ以外の何ものでもない。くだらないものに注意を向けるとき、僕たちはまさに人生の一部を削ってそのくだらないものを見ているわけだ。
『限りある時間の使い方』オリバー・バークマン
限られた時間を有効に使おう、と思っても現実は気が散ってしまうような誘惑が多いです。
私も、ついスマホに手が伸びて意味のないSNSを見てしまっていたので、SNSに触れる場所と時間を制限するように気がけています。(過去記事)
けれども現実は、アテンション・エコノミーと言われるように、ネット上に溢れるコンテンツにより私たちは本当は興味のないことに無理やり注意を引き付けられ、私たちの関心を操作されています。
※アテンション・エコノミーとは、人々のアテンション(注意・関心)に値段がつけられて、SNS等のコンテンツ提供者がそれを奪い合っている状況のこと。
また、私たちの利用しているSNSは実は無料ではありません。そこで私たちは顧客でなく「商品」だからです。
なので、テック企業は私たちの注意を手に入れて、それを広告業者に売ることで儲けています。
また、私たちの注意を引くのは多くの場合、怒りや恐怖を掻き立てるコンテンツになるので、SNS上でのフェイクニュースや炎上は、実はプラットフォーム側から見ると欠点ではなく、ビジネスモデルに不可欠な要素になるのです。
私たちの注目を引くものが「怒りや恐怖」というのは、脳の仕組み上仕方のないことだとはわかっているつもりでも、実際にそのような投稿を見ると、目が留まります。
そしてその時のイヤな気分は、スマホを見ていない時でも継続してしまいます。
つまり、注意力が人生そのものであるなら、SNSは単に集中が途切れる、というものではなくなります。
人生そのものである注意力を、本当はもっとやりたいと願っている別のことに使えたかもしれないからです。
デジタルデトックスが失敗する理由
私たちは目の前の苦痛から逃れたい時に、気を紛らわせてくれる何かを探してしまいます。
何かに没頭している時はSNSを見ないのに、退屈な時・やる気が出ないときに無意識に気を紛らわせてくれるものを探してしまう、という経験がない人はいないのではないでしょうか。
僕たちが気晴らしに屈するのは、自分の有限性に直面するのを避けるためだ。つまり、時間が限られているという現実や、限られた時間をコントロールできないという不安を、できるだけ見ないようにしているのだ。
『限りある時間の使い方』オリバー・バークマン
重要なことに取り組むとき、僕たちは自分の限界を痛感する。思い入れが強いからこそ、完璧にできないことがもどかしい。
つまり、なんとなくSNSを見てしまうのは「ものごとがコントロールできない」という不快な真実に直面した時に起こる反応、ということです。
本当に私たちの邪魔をするのは、気晴らしの対象であるSNSではなく、イヤな現実から逃れたいという、私たち自身の欲求です。
SNSを見てしまうのは、世界の名だたる大企業が科学者たちを雇って作り上げたドーパミン中毒の仕組みに勝てないから、と思っていました。
けれども、この本では「イヤな現実から逃れたい私たちの欲求が原因」とあり、尚更どうすればいいの?と思わずにはいられませんでした。
そうであれば、例えインターネットやSNSのない世界であっても、その気晴らしの欲求は消えないのです。
まとめ:苦痛を受け入れよう
私たちの人生そのものである注意力を奪うのは、SNSではなく、イヤな現実から逃れたいという、私たち自身の欲求であるならば、どうしたらいいのでしょうか。
不快をそのまま受け入れるしかないのです。
ある意味解決策がない、ということが解決策でもあります。
禅の修行でも気を抜かずにいると苦痛が和らぎ、気が散ると苦痛が増すといわれるように、苦痛や退屈を否定せずにそのまま受け入れたほうがいいのです。
難しいタスクを落ち着いてやり遂げるためには、完璧に没頭できる状態を夢見るよりも、イヤな気持ちをそのまま認めた方がいいのです。
そして、心からやりたいと思っていることをなぜかやりたくなくなっても、とにかく進んでみるしかない。
全てをコントロールできるという欲求を捨てて、イヤな気持ちを抱えたまま、進むしかないのです。
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