ことです。
時間についての本『限りある時間の使い方』オリバー・バークマン著の紹介の続きをさせてください。
(過去記事①・②)
これまで、「時間は有限であり、その中ですべてのタスクをこなすことはできないこと」、「心からやりたいと思っていることをなぜかやりたくなくなるのは、イヤな現実から逃れたいという私たち自身の欲求によもの」と紹介しました。
なので「有限の時間を無駄にしないように過ごさなくては」という気持ちが強くなり、休日をいかに有効に使うかという思考に陥っていましたが、それも間違いだったようです。
そんな限られた人生をよりよく生きるために私たちにできることは、「幻想を手放す」ことでした。
なぜ、のんびり過ごす休日に罪悪感を持ってしまうのか
休日に朝からずっと家でのんびり過ごすことに罪悪感を抱く人も多いと思います。
私も「今日は何もしないまま夜になってしまった」と後ろめたく思う休日がありました。
「休日をダラダラ過ごしてしまったら、仕事に影響が出てしまう」と、まるで仕事をより生産的にするために休んでいるような日々を送っていました。
けれども、このような考えは産業革命以前にはなかったものだそうです。
古代の哲学者たちにとっての余暇は、何かのための手段ではなく「あらゆることの目的」そのものだった、と。
アリストテレスも、真の余暇こそがあらゆる美徳の中で最高のものと考えていたようです。
「余暇こそが人生の中心であり、仕事は不名誉なもの」という考えだったものが、工業化が進んで時給労働が普及したことにより、「仕事こそが人の存在意義であり、余暇は仕事のための回復期間」になったのです。
なので現在に生きる私たちは、将来のためにならない余暇を過ごしてしまうと、なんだか悪いことをしたように感じてしまうのです。
でも本当は、余暇を「無駄に」過ごすことこそ、余暇を無駄にしないための唯一の方法ではないだろうか。
『限りある時間の使い方』オリバー・バークマン
何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。将来に備えて自分を高めるのではなく、ただ何もしないで休むこと。
一度きりの人生を存分に生きるためには、将来に向けた学びや鍛錬をいったん忘れる時間が必要だ。怠けることは単に許容されるだけでなく、人としての責任だと言っていい。
「今日は何もしないまま夜になった」ことは後ろめたいことではなく、むしろ人としての責任を果たした誇らしいことだったのです。
このことを知ってからは「今日は存分に怠けることができた」と思えるようになり、休日を休日らしく「無駄に」過ごせたという自信を持てるようになりました。
また、余暇の過ごし方としておすすめされているのが「何の生産性もない平凡な趣味」です。
イラストを描いたり、切手を取集したり、鉄道写真を撮ったり、全く上達しない下手なサーフィンに没頭したり。
副業にも何にもならない、人に言うのがちょっと恥ずかしいと思うような趣味こそが、社会的に何も生産しない純粋な趣味になります。
人生を生き始めるための、5つの質問
ここまで、時間が限られているからこそ、すべてのタスクもやりたいことにも取り組めない、という残念なことと、余暇を無駄に過ごすことはむしろ人としての責任であることを紹介してきました。
つまり時間をコントロールすることが出来る、そうすればタスクをすべて終わらせることが出来る、そのために余暇を有効に使うことができれば、すべてが叶う。
そんな、叶うわけのない希望を捨てればいいのです。
そして、やることをやるために、次の質問を問いかけてみてください。
すぐに答えは出なくても、問いかけることで限られた時間という現実に向き合うきっかけになると思います。
【質問1】
生活や仕事のなかで、ちょっとした不快に耐えるのがいやで、楽なほうに逃げている部分はないか?
【質問2】
達成不可能なほど高い基準で自分の生産性やパフォーマンスを判断していないか?
【質問3】
ありのままの自分ではなく「あるべき自分」に縛られているのは、どんな部分だろうか?
【質問4】
まだ自信がないからと、尻込みしている分野は何か?
【質問5】
もしも行動の結果を気にしなくてよかったら、どんなふうに日々を過ごしたいか?
これらの問いの答えを考えてみて、どうでしたか?
ユングに言わせれば、「やるべきことがわからないなら、きっと余計なことを考えるお金が余っているせい」とのことです。
「しかし次にすべきこと、最も必要なことを確信を持って実行すれば、それはいつでも意味のあることであり、運命に意図された行動なのです」
たとえ正解がわからなくても、とにかく次にすべきことをするしかないのです。
ユングの言葉は辛辣に感じましたが、確かに振り返ってみると私自身、ヒマな時に悩んでいるのです。
何かに夢中になっている時は悩まないですし、切羽詰まるほど「お金がない」なら行動するしかないので、おっしゃる通りと思いました。
悩んでいる時はつまりエネルギーを余らせている時なので、そんなエネルギーを無駄遣いする余裕が本当にあるのか、自分に問いたいと思います。
まとめ:不愉快な現実は、自由への一歩
自分の限界を認めることは、希望を捨てることです。
時間をコントロールすることが出来れば、いつか本当の人生が始まる、という希望。
私たちは「今」しか生きられないのに。
だから、次にすべきことをするしかない。
私にとってこの本は、今までありもしない幻想を見ていたと教えてくれる本であり、そのことを受け入れるには不快さに耐えなければいけませんでした。
でも、その不快さこそが自由への第一歩になる。
不快に感じる、ということは「いつか」のありもしない未来でなく「今」を生きている証拠だと教えてもらいました。
最後に、本書の一説を紹介させてください。
幻想にしがみつくことをやめて、現実をしっかりと見つめたとき、そこに現れるのは無力さではなく、あふれんばかりの活力だ。
『限りある時間の使い方』オリバー・バークマン
今までずっと無意識に身構えていた恐ろしい事態は、すでに起こってしまった。だからもう、肩の力を抜いていい。
それでもあなたは生きている。少なくとも、まだ今のうちは。
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