“私は誰のために家事をしているの?”
疲れやすい私にとって、生活を整えることは自分が生きるための“土台”だった。
だけど、結婚して“自分のため”から“二人のため”になった家事。
家事を自分事に考える夫がいても、一人で勝手に意気込んで、疲れて、恨みがましくなっていた。
これは、「やらなきゃ」に疲れた私が“心地よい家事との距離感”を見つけた1年の記録です。
なぜ家事につかれていたのか
私は夫と地方で二人暮らしをしています。
30代半ばで、10年以上続けた正社員の仕事を辞めて一年が経ちました。
働き方に限界を感じて、自分を見つめ直すために退職を選びました。
パートナーと家事
夫は、家事にとても協力的です。
自分事と考えているので、結婚当初から「手伝う」ではなく
「苦手な家事を教えてほしい。体調が悪い時も教えてほしい。お互い苦手なものは外注したり、話し合おう」
と言ってくれています。
(「朝が苦手」と伝えたら、夫は私よりも早く起きてゴミ捨てや朝食の準備を毎回しています。)
でも、ここで大きな問題がありました。
当時の私は自分の感情や体調がわからなかったのです。(自分の感情を取り戻した話は過去記事参照)
なので、自分が苦手な家事が「わからない」。
体調が悪くても倒れる直前まで「わからない」。
実際に熱が出ても倒れる直前まで家事をしていました。
さらに、自分の感情よりも「状況を改善」を優先する癖があり、状況が悪化していました。
なので、時間の都合等の明確な理由がない限り、家事を自分がした方がスムーズに回る、と考えてしまっていました。
自分が“わからない”から、限界まで家事をしていた
“できる・できない”じゃなく、“わからないから、やってしまう”。
身体が限界を迎えるまで、わからずに“やってしまう”を繰り返していました。
そして夫に「どうして無理するの?自分には頼りにくい?」と言われても、感情も体調もわからない私には、答えられなかったのです。
自分のことなのに感情がわからず、限界まで動いては倒れる。
そんなことを繰り返していました。
なぜ、自分を追い込んでまで家事をしてしまうのか?
なぜ、二人暮らしなのに家事を自分の仕事と考えてしまって、夫に頼れないのか?
私の家事に対するこだわりと、夫との関係性について考えるようになりました。
私にとっての家事とは何か?見えてきた“目的”
あなたにとっての“家事の目的”は何ですか?
私は、自分を追い込んでまで家事をしていましたが、その理由がわかりませんでした。
なので、自分が何にこだわって家事をしているのか、観察してみることにしました。
家事の中で特に負担が大きいと感じているのが、料理です。
買い出しして、献立を考えて、料理をする。
他の家事と比べて、料理には時間とエネルギーがかかります。
なので、まずは料理について考えてみました。
「料理」に込められた、私のこだわり
料理が大変と自覚していても、私は手料理にこだわっていました。
それは、手料理を定期的に食べないと体調を崩してしまうからでした。
私は体調が一日中良い日はほぼありません。年に数日くらいです。
一日の中で波があり、良い時に行動して、悪い時に省エネモードで動く。
それには手料理が必要でした。
不調の時は手料理が辛いので、外食やお惣菜に頼りたいとは思います。
ですが、それらを食べた時に感じる少しの寂しさが、不調の時は特に辛く感じるから、手料理を求めることにも気が付きました。
つまり、手料理にこだわるのは「自分のため」なのです。
では何を負担に感じていたのか。
「買い出し」がしんどい本当の理由
料理について分解して考えていくと、私にとって不調の時の買い出しが負担になっていることに気が付きました。
・新鮮な食材でないと、料理をするモチベーションが沸かないし、そもそも買いたくない
・時期によっては新鮮な食材を手に入れるために、個人商店含めて複数店舗回るのが負担
・体調が優れない日の買い出しは、とにかくしんどい
言い換えれば、買い出しのハードルである「新鮮な材料が簡単に入手」できれば解決する。
そのための仕組みづくりに取り組みました。
ジムを活用した“ラクになる仕組みづくり”
負担に感じていた買い出し。
ネットスーパーを利用して買い出し自体をやめることは、「新鮮な食材を購入したい」私には、難しいと感じました。
なので、まずは「頻度を減らす」ことに。
料理のメニューを見直して、一品に使う食材の種類を減らす。
その代わり、新鮮な状態のまま一度の料理で食材を使い切るようにする。
そうすることで、まずは2~3日分の食材をまとめて購入して、使い切るようにしました。
また、そもそもの体調不良も大きな問題だったので、毎日ジムに通うようにしました。
ここで、運動の効果を利用しました。
ジムに行く前は不調でも、運動すると身体も心も元気になるので、その勢いで買い出しに行くようにしました。
「買い出しのため」でなく「自分の体調改善のため」に外出して、ついでに買い物をする。
そう考えると気持ちが楽になりました。
こうして、納得して身体を動かすことで、身体と心が元気になっていきました。
“自分のため”に家事をする。
そのことに集中して、暮らしを整えていく。
次第に料理以外の家事に対する納得感も大きくなり、必要以上に自分を追い込むことがなくなりました。
パートナーと暮らす中で見直した“家事の意味”
あなたは“パートナーと家事”と聞いて、何を感じますか?
私は、家庭はパートナーとの共同運営と考えています。
一年前に退職しましたが、生活費については共働きの時同様、退職してからも変わらず折半しています。
私は「お金で遠慮したくない」という気持ちが強く、扶養されることは私にとっては苦しいこと。
生活の見通しが立つ貯金額があったからこそ、退職に踏み切れました。
パートナーがいる場合、女性の家事負担が統計的に多く、我が家の場合も同様です。
近年その差は縮小していますが、実感としては「それが何か?」という感覚です。
私が家事をするのは、“女性だから”というより“気になるから”と考えています。
気になることが、夫より私の方が多い。
だから私の方が、家事をする。
それだけの話だと思っていました。

もちろん、幼い頃から植え付けられてきた「男女平等」「家事は女がするもの」の矛盾した考えや、実家での家族の家事に対する考えにも影響されていたと思います。
ただ、「そんなことどうでもいい」と思うくらい、結婚してすぐは“二人暮らしのリズムを作ること”、その後は“仕事と家庭を両立させること”に毎日必死でした。
家事を「二人のため」から「自分のため」に戻した
退職した当初は、これまで時間の余裕を持てずにいた家事に時間を使えることに感動しました。
朝からスーパーに買い出しに行けて新鮮な食材を購入できたり、煮込み料理をする余裕ができて料理のバリエーションが増えたり。
けれど、その気持ちは長くは続きませんでした。
自分を見つめ直すために退職したはずなのに、気付けば家事にばかり時間を使っていて、疲れている自分がいました。
「家事をするために、仕事を辞めたのではない」
なのに、自分の存在意義が「夫が快適に暮らせるように家事をする」ことになっているように感じて、焦りを覚えました。
もちろん、夫からは「お願いされていないし、そもそも求められていない」と頭では理解しています。
なのに、夫に対する憤りまで感じてしまっていました。
このままではうまくいかない。
そう思い、家事は私にとって必要なもの。
「二人のため」でなく「自分のため」に、自分が納得できるところまでやればいい。
そう思って「自分と家事の心地よい距離感」を意識して、一年間家事と向き合いました。
(上に書いた通り、自分の「体調改善のため」の仕組みを作りでひたすら自分と向き合いました)
“快適に暮らす”ために、ねぎらい合える関係でいたい
なぜ、自分を追い込んでまで家事をしてしまうのか?
なぜ、二人暮らしなのに家事を自分の仕事と考えてしまって、夫に頼れないのか?
一年間の取り組みで、「自分と家事の心地よい距離感」がつかめるようになりました。
同時に、夫からのねぎらいの言葉が欲しい、と思うようになりました。
以前の恨みがましい気持ちからではなく、私が気持ちよく家事をする環境のために、言葉が欲しい。
伝えるには勇気が必要でしたが、一年間自分の失ってしまった感情を取り戻す取り組みもしていたので、そんな自分のために伝えました。
「家事は私が“したい”からやっている。
一年間私なりに取り組みました。
でも、もし私が家事をすることで、何らかの良い影響があるのなら、
それを“当然”とは思わずに、ねぎらいの言葉が欲しい」
夫の返事は、こんな内容でした。
- 生活を快適にできていることへの感謝と、それに対する言葉が少なかった反省
- 「今日は体調が悪い」「家事したくない」と思ったら連絡してほしい。自分に頼ってほしい
- そもそも「全ての家事をしたくない」でもいい。その時は、一緒に方法を考えればいい
と言われました。
私の家事との折り合いを見て、負担になっているのなら根本から解決したい。
そう考えてくれる夫に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
でも、私は自分のために家事を“したい”のです。
ただ、不調の時でも無理してしまう癖がなかなか抜けずに、優しい夫に頼れない。
そのことが歯がゆいですが、でも「頼っていい」の言葉が嬉しい。
だから、少し時間はかかるかもしれないけれど、夫に頼れる自分になりたい。
今は、そんな自分に気付くことができたので、「本当に今、家事をしたいの?」と、自分に毎回問いかけながら取り組んでいます。
まとめ:家事は心地よく暮らすための“手段”に過ぎない
私が家事との距離感を考えるにあたり、二つの視点を取り入れました。
・自分にとっての家事:生きるための土台
・パートナーがいる場合の家事:二人が心地よく暮らすため
どちらの視点であっても、私にとっての家事は「私が心地よく感じられる環境を作るため」のもの。
それなのに「なぜか苦しい」と感じるのなら、どこかに課題があるはず。
そして必要な仕組みを取り入れて、実行する。
自分のためであってもパートナーが家事をした場合は、それを当然と思わずにねぎらいの言葉をお互いかけあえる関係でいたいから、言葉が欲しいと伝える。
これが、今の私の家事に対する距離感です。
「相手がしてくれないから、私がしないといけないけど、辛い」
「パートナーがいる場合の家事のスタンスについて、どう考えているのか知りたい」
そんな方の参考になれば、幸いです。
あなたは、どんな気持ちで家事をしていますか?
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