女性は「スキンケアと化粧をしなければならない」。
そんな「常識」に縛られて、たくさんの時間とお金を費やすことを苦しく感じていました。
そんな時に高校時代の先生の「女性がスキンケアと化粧に生涯かける金額は何千万」という言葉を思い出し、本当にそんなコストをかけないといけないのか?と疑問を持ったことがきっかけで肌断食を実施。
その結果、自分の心地よいスキンケアや化粧とのバランスを見つけたことで、時間的にも金銭的にも大幅にコスト削減できました。
外出に対するハードルが下がり、メンタルでの負担も減ったと実感しています。
女性のスキンケアと化粧に生涯かかる金額は〇千万円
高校生の頃、30歳の女性の先生は化粧をしていませんでした。
先生が化粧をしない理由は「女性がスキンケアと化粧に生涯かける金額は何千万円になるから」とのことでした。
本当のデータかわかりませんし、高校生で何千万円の価値が具体的にはわからなかったけど、「家が買える」とその金額に恐怖を覚えたのを今でも覚えています。
その後大学に入り、「女性はスキンケアと化粧をしなければならない」という常識にとらわれて、私も化粧をするようになりました。
スキンケア商品や化粧品を買う時に、ふと先生の言葉が頭の片隅に浮かびましたが、先生のように「化粧をしない」という選択肢は考えられませんでした。
社会人になってもスキンケアと化粧をしていましたが、お金と時間をかけても肌の調子が良くならないこと、仕事が忙しくもっと楽にケアできないものかと模索しました。
肌断食に挑戦、最終的に乳液、日焼け止め(ノーファンデ)になった
このまま時間とお金をかけても肌がボロボロになっていくのは避けたいと思っていたところ、「肌断食」を知りました。
スキンケアは基本せずに、荒れた時に保湿(例 ワセリン)だけでいい、というものでした。
それならお金も時間もかけずにすぐにできる、と挑戦してみたのが20代後半。最初は肌が荒れても、自発的に肌から油が出てくる、とのことでしたが何週間経っても油が出てくることはなく、肌は粉を吹いた状態に。
感覚としても、お風呂上がりの肌が乾燥する飢餓感がずっと続くようなものでした。
流石に辛くなりワセリンだけの保湿を始めましたが、当初悩んでいたまだらな赤みがなくなって、乾燥して粉は吹いているけど、肌色が均一になっていることに気が付きました。
それからは「私の肌は自発的な保湿は望めない」という実験結果を持って、保湿重視のスキンケアに。
化粧水の効能を調べてみると本当に肌を潤すものかわからず、一旦乳液かクリームだけにしたところ、可もなく不可もなくという状態になりました。
確かに化粧水やパックをしたときは潤いますが、私にとっては負担だったので、その分睡眠時間の確保に当てました。今では洗顔後のケアはクリームだけです。(朝は水のみで洗顔、夜は洗顔料を使っています)
その間、化粧は続けていましたが、コロナの影響でマスクにファンデーションが付くことも、マスクの中で肌が荒れることも嫌になり、化粧もファンデーションやチーク、アイシャドウを辞めて日焼け止めとアイブロウのみになりました。
すると、毎日楽になりましたし、元々薄化粧だったので化粧を辞めても誰も気づきませんでした。
私は、「女性は化粧するもの」の常識に縛られていましたが、化粧をしてもしなくても他人は私の顔に興味はない、と知るとこができました。
とうことで、化粧をしない生活を数年続けていますが、とっても快適です。
以前と比べ物にならないくらいに手を抜いているのですが、その分食事・睡眠・運動に気を付けているからか、今は肌をほめられることが多くなりました。
化粧は「しなければならないもの」から「自分が装いたい時にするもの」に
女性は「スキンケアと化粧をしなければならない」。
その「常識」に縛られて、たくさんの時間とお金を費やしてきました。
もちろん、キレイに装うことは気分を明るくするのでとても良いのですが、それが「みんながしているからしないといけない」「みんなが買っているから、このクリーム試してみよう」と、基準がいつのまにか自分ではなく他人になって、苦しく感じていました。
そんな時に高校時代の先生の「女性がスキンケアと化粧に生涯かける金額は何千万」という言葉を思い出し、本当にそんなコストをかける価値があるんだろうか?と肌断食を実施しました。
その結果、自分の心地よいスキンケアや化粧とのバランスを見つけることができて、今は20代の頃よりも外出に対するハードルが下がりました。
ちょっとそこまで、と気軽に外出し、お風呂上りもさっとスキンケアを済ませて眠れるような心と体の健康を手に入れたと思っています。
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