茶道教室に通い始めて、5年が経過しました。
少し覚えては風炉から炉に代わり配置や手順を覚えることができず、繰り返し何度も先生に同じことを注意されることが続きました。
このような経験は社会人になって初めてで、仕事ではもう少しできるはずなのにな、と落ち込みながらも続けていたところ、ふと身体が勝手に動くことがありました。
頭で考えると混乱してしまうのは変わらずの状況でしたが、考えずに流れに任せると緩急をつけて流れるように身体が動くのです。
失敗を繰り返して、頭で考えずに身体が動くまで続けてできるようになることこそ、学ぶ本質ではないかと思いました。
戦国武将が愛したお茶の世界を覗きたい
茶道教室、というと今では女性の習い事のイメージが強いと感じます。
けれど、旅行した時に様々なところで見る歴史ある茶室、その茶室を昔の方はどのように使用していたのか、幼いころから興味がありました。
特に、戦国武将がこぞって愛した茶の湯は、今の女性の習い事のイメージとは真逆で、茶道とは何だろうと思っていました。
茶道教室がないか調べると日中に開催されるものばかりで、諦めていました。
けれど、何度も何年も気になっていたので、本気で調べたところ仕事が終わった後に通える教室を見つけることができ、仕事が落ち着いたタイミングで入会してみました。
何度も同じことを繰り返し注意される経験
社会人になって、仕事で同じことを注意されないようにしてきました。
なのに、茶道教室では何度も同じ失敗を繰り返し、注意されます。
その度に「今度こそ」と挑戦しますが、こちらに注意したらあちらが疎かに。
緊張すると手順を忘れたり。
そしてまた注意される。
ある意味、貴重な体験でした。
覚えが悪く「先生に迷惑をかけてしまう」と最初は冷や汗ばかりでしたが、できた時には先生が「よくできました」と褒めてくれるのが本当にうれしく感じました。
まるで小学生に戻った気分です。
そうして何度も何度も繰り返し注意されて学んでいくうちに、「そうか、学ぶってこういうことか」と理解するように。
できないから習いに行っているのに、「できない私はダメだ」と思っていたのです。
身体が勝手に動く感覚
頭で「次の動きは」と考えていては今の動きが疎かになって注意される、というようなことを繰り返していたある時、ふと勝手に身体が動きました。
最初はびっくりしたのですが、その感覚に任せてみると頭で考えるよりも先に手が動くのです。
それも緩急リズムよく流れるように。
「頭で考えず、現在に集中する」とはこういうことか、と体験しなければわからない発見でした。
それからは、その感覚を捕まえることに集中するようにしています。
理想は「今、お客様をもてなすことだけに集中すること」ですが、なかなか難しい。
けれども、以前とは異なる感覚でお茶を点てることができるようになりました。
子どものように、できるまで挑戦する姿勢を持ち続けたい
思い返してみると、学ぶ目的はできないものをできるようになるために行うものです。
それなのに、いつしか一度の学びですぐに結果を出さなければとストレスを感じるようになっていました。
できないなら、できるまで何度も失敗するしか方法がないのに。
何度も何度も失敗を繰り返すうちに、頭でなく身体で覚えることもある。
初めて自転車に乗れた時と同じです。
子どもの頃に知っていたはずの「できるまで挑戦する」感覚を、大人になって忘れてしまっていました。
大人になって余計なプライドがついていたようです。
そのプライドを大切にして何事にも挑戦せずにできないままではいたくないから、余計なプライドは捨てていつまでも謙虚に無邪気に、子どものように学ぶ姿勢を貫きたいです。
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